centropygeflavissima's blog

ラインブログ閉鎖につき移転先の1つ  三重県の真ん中辺りで活動中。身近な訪問先や四季の風物を撮影し発信します

古里散策+史跡シリーズ 伊賀市上阿波(旧大山田村) 長野トンネル西側 2022年5月30日

     tubeに動画を上げました。
 伊賀市西之澤のノハナショウブ群生地に遠征した帰路、長野トンネルに入る前にちょっとそれて立ち寄り。
 現行の国道163号、平成の長野トンネルは約10年前に開通した。それまでは今廃道になっている旧国道を通り、昭和の長野トンネルを越えていた。
 旧国道今走ってみると、国道とは思えぬ狭さ曲がりくねりさに驚く。横から雑草、枝葉が侵食してきてさらに狭く。
 ここには明治時代に開通した明治のトンネル、江戸時代以前の伊賀街道長野峠も現存していて当時の人々の苦労が忍ばれる。
 昭和のトンネル時代の西口公園に停める。廃道になってからたった10年でも寂れ方半端ない。私は産業遺産的に捉えていますが廃墟のジャンルに入れられていることもある。
 昼でも街灯が一つポツンと灯っていた。濃い木陰でセンサーが反応して灯るのだろう。誰も居ないのに。
 明治のトンネル跡を見に行く。公園から山道を登り昭和のトンネルの真上あたりに向かう。結構急勾配、先日の三峰山登山以来まだ足が痛いのだ。
 昭和のトンネル真上辺りの場所に立派な鳥居と祠、もとは山王社と思われるがトンネル建設の地鎮社も兼ねているのか。が最近は詣られていないのか榊が枯れていた。
 ここは登りが更にきついので下から遥拝。
 鳥居の脇から谷に沿って奥に行くと明治のトンネルの西口、何年ぶりかに来ました。
 こちら西口は元々土砂で8割方埋まっていて、通り抜けなどもとより無理です。しかしながら津市側東口は埋まらずによく残っていて、写すならそっちに行ったほうがいい。
 東口は出入りできないように金網の扉が設けられていたんですがどこぞのDQNがこじ開けて奥に入った形跡がある。危険だし行っても埋まってて無駄ですから入ってはいけません。壊された扉は速やかに直していただきたいものです。
 改めて西口の話ですが、上の木々が伐採されてトンネル構造物の上に倒れかかっていました。以前は無かったからここ2〜3年のうちの出来事でしょう。荒っぽい事するなぁ、これじゃ史跡が壊れちゃうよ。市が替わったからなのか ? 伊賀市だからなのか ?
 山全体の荒れ方も気になる。以前はトンネル脇の溝にも水が流れ谷に小川ができていたのが今回枯れて乾いていた。サワガニ、カジカガエルなど見かけたのも見当たらない。滅んではないと思うけど引っ越したかな。
 経ヶ峰近辺の水不足、安濃ダムの大渇水も関係あるかもね。
 山から降り廃道引き返す途中に伊賀街道長野峠の分岐、この道も以前歩いたことがありますが今日はパス。途中までは林道と共用で分岐してからゴロゴロの渓流沿い山道登り、茶店跡などもあるルートでした。
 更に廃道引き返して現行道近くに忘れられた史跡、猿蓑塚。松尾芭蕉が「初しぐれ 猿も小蓑を ほしげなり」を詠んだとされ句碑が立っています。廃道前は国道沿いで結構多くの人に見られていたのが今は滅多に通る者も無い。
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