centropygeflavissima's blog

ラインブログ閉鎖につき移転先の1つ  三重県の真ん中辺りで活動中。身近な訪問先や四季の風物を撮影し発信します

雨の日ドライブ→途中からガチ探検 津市芸濃町 河内渓谷〜安濃ダム、錫杖湖〜落合の里〜県道42号伊賀越〜猿蓑塚〜国道163号長野峠 2019年12月

    tubeに動画を上げました。
 「河内渓谷」の紅葉を見に来た続き、回復していくはずの予報に反してしっかり降っています。昨年の紅葉見物も雨に降られたのを思い出しつつ、あまり期待できないけれど更に上流の「安濃ダム」「錫杖湖」を見に行きます。
00:00 「長徳寺」前駐車場を出発、寺山の紅葉も見事ではありました。
03:10 右手道路脇に鹿の群れ現る。
04:08 トンネル出てすぐ右折、「錫杖湖エントランス園地」
05:00 撮影スポットが良ければ降りたところでしたがこの天気だしスルーする。
06:57 左手「紙屋観音」以前紹介したような。
07:25 映って無いけれど「経ヶ峰」方面に向かう分岐路沿いの紅葉も見事でありました。
08:18 左手「錫杖湖水荘」元小学校を改築した食事のできる休養施設。二宮金次郎像等はまだ残っている。
08:26 右手「錫杖湖親水公園」撮影スポットではありますが今日はスルー。更に上流の「落合の里」まで行く。
10:25 「落合の里」駐車場。平家物語では熊野で入水自害したとされる平維盛(これもり)が実は生きていてこの地に落ちのびたという伝説がある。落人の末裔という住人の殆どが「落合」姓の集落。
12:50 ここで計画の変更、紅葉鑑賞は見込めないしかなり奥まで入り込んだので県道42号を通って国道163号に抜けようとする。ナビを合わせて出発。県道42号は修復工事で5年位通行止めになっていて、存在自体忘れられつつあった道です。
 御注意、よく調べず入って行きましたがこの県道42号という道、色々といわくがあって地元の方も敬遠する危ない道でした。一般の旅行者の方はこの道を通らない事を推奨します。
 5年間通行止めになっていたのは2013年の台風による大崩落。その日名古屋からUSJに向かっていた母子の車が東名阪自動車道通行止めからのカーナビの指示を鵜呑みにしてこの道に迷い込み、氾濫した川に流されて亡くなった。わざわざこんな危ない道に誘導したナビのプログラムにも大きな問題があったと思う。
 その前、1988年 名古屋アベック殺人事件の犯人グループがはるばるここまで遺体を埋めに来た。何故知っていたかは不明だがその前から心霊スポット的扱いだった。
 更に遡る戦国時代、家康一行が本能寺の変に巻き込まれかけて山越え脱出した「神君伊賀越」の逸話。このルートは諸説あってもっと北の加太峠〜柘植〜亀山〜鈴鹿〜白子の港ヘというのが主流ですが、部下に伊賀者の半蔵がいて顔が効いたこと、土地字名が「伊賀越」になっている事等この辺を通った可能性もあり。いずれにせよ人目につきにくい険しい道です。
15:20 右手「小川内神社」この辺までは以前来ていて紹介した。駐車場が無いので困った記憶。
16:10 一軒家、ここから先は未踏
17:20 川沿いの道、天気が良ければ紅葉を見る余裕もあったかも
19:00 どんどん狭く、森に入って暗くなる。
22:40 川から離れて登りだす。
24:35 突然大きな滝の前に出る。無名なのか ? ゆっくり見ている余裕が無い。
 片側崖、反対側深い側溝、どちらにもはみ出せない隘路。
28:42 ポツンと一軒家 ? 別荘とか廃墟かもしれない。ひとけが無い。
32:00 通行止め ? と言われても今更戻れない。
38:35 見覚えのある場所、旧長野トンネル時代の国道163号廃路区間に合流。ほっとする。ナビ再設定しようとしたらまだ電波の無い所だった。
41:00 かなり暗くなっていますが松尾芭蕉ゆかりの史跡「猿蓑塚」
 初時雨 猿も小蓑を ほしげなり
松尾芭蕉は伊賀出身の人、この辺にはゆかりの史跡が沢山あります。旅の途中この地で詠んだようですが、その時と同じような冷たい雨が降っていました。
42:55 ドライブレコーダーが不調でいじっています。遅れて出発。
43:55 現在の国道163号、新(平成の)長野トンネルを潜る。
45:05 スローな車がいて追突しそうになる。
49:00 ペースを乱されつつ長野峠下ってゆく。
50:00 「北長野集落」まで下れて峠区間終わり。